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『お無遊』


病に臥せっているお父ちゃんの薬を貰いに
真夜中に少女、おムユが走っていると
妖魔が出ると噂の、橋のところに来る。

真っ暗な闇の中、橋の下の川の音が
ザーザーと聞える。
カサカサと、人の足が草を踏むような音も聞える。

しかしこんな夜更けに、
おムユ以外の人間がいるはずもなく、
姿も見えない。

おムユは恐ろしくて恐ろしくて、
家に逃げ帰りたくなるが、
家には病気のお父ちゃんが苦しそうに咳をして
命の灯火も絶え絶えに
おムユの持って帰る薬を待っている。
その薬を貰うには、
この橋を渡ってお医者さまのいる家まで
行かなければならない。

おムユは、ぐっと胸をそらし、
覚悟して橋を渡り始める。
(お父ちゃん、待っててね……
妖魔なんて、いないんだから)
おムユが強い気持ちでいれば
アヤカシなんか跳ね返しちゃうんだよ、って
お屋敷に奉公にでてる母ちゃんも言ってた。

なのに、
ザーザーと川の音
ガサゴソと草の音
ボウボウと蛙の声
闇の中
橋の真ん中に 人魂が光ってる

いいえ、いいえ、あれは
弱い心が見せる幻
おムユが作り出した
おムユの中の怖いもの 自分自身。

自分自身は、大人のおムユ。
母ちゃんのように美しくて
長い髪を垂らしていて
唇には紅をさして
大きな胸と腰 ながくてしなやかな腕と足
大人のおムユは優しそうに
だけど嘘をつく

おムユには分かる
その妖魔は自分だから

「お利巧なお嬢ちゃん
こんな時間に一人で
こんな怖い場所を通って
お父ちゃんのためにお使いするなんて
とってもいい子ね
さぁ 橋を渡って薬を貰っておいで
そしたらお父ちゃんの病も治る
お母ちゃんも奉公から帰ってくる
そしたらいつも泣いてばかりの妹たちも
お嬢ちゃんの手を煩わせることがない
良かったね お嬢ちゃんが頑張れば
みんな幸せになれる
いつか必ず 幸せになれる」

妖魔は甘くて強い励ましを
おムユにくれる
でも、それは嘘
妖魔が優しければ優しいほど
おムユの本当の心は
冷たく冷え切っているということ

(薬を貰ってもお父ちゃんの病気は治らない
お父ちゃんは死ぬ病
高い薬はただそれを先延ばしにするだけのもの
だから、お母ちゃんはいつまでも
奉公先から帰ってこない
お屋敷の旦那の方が、
お父ちゃんよりも良いからだ
奇麗な着物を買って貰って
自分に子どもがいることなんて忘れてる
私の妹たちは無邪気に
お母ちゃんを信じて待って
眠る前にはいつも
お父ちゃんに 夢のような未来の話をせがむ
いつか皆幸せになって
貧しさもなくなって ひもじさもなくなって
お母ちゃんが奉公しているお屋敷よりも
もっともっと大きなお屋敷に住むんだよ……
私はその茶番に付き合うのは、もう飽きた
もう笑って聞いていられない
働きずめの毎日 疲れて限界の幼い体
私は大人には なれない
大人のようには役に立てない
なのに なのに
どうして みんな私にそれを望む?
もう嫌だ もう逃げたい)

「逃がしてやろうか
お前を大人にしてやろうか、お嬢ちゃん
大人はね 本当は遊んでばかりいるんだよ
子どもに働かせて
自分たちは素敵な思いをしてるのさ
それを教えてあげようか
おムユ、私と遊ぼうか」

ザーザザー
川が流れて
草が揺れて
夜中の橋の欄干で
妖魔と少女が戯れる
子どもの知らない悦楽と
大人の忘れた童心を
一つにしようと交わって

夜が明ける頃
橋の真ん中に誰がいるかは分からない
大人の顔をしたおムユが笑っているか
子どもを食べた妖魔が
煙のように姿を消しているか……

ただ川は流れ続け
草は日に日に伸び続け
誰もが忘れる
咳の音も 子どもたちの泣き声も
遠い昔の子守唄も
いつかの未来の夢の話も
遊ばない少女が居た事も
やがて忘れられていく
風に吹かれて、消えていく。

END.